ある日の宵の口。
一人でカフェのテラス席に座って夕食を済ませ、大きなポットでサーブされた茶をがぶがぶ飲みながら、目の前の雑踏を眺めていた。うんざりするほどたくさんの人々が、誰ものべつまくなしに無数の議論を繰り返し、無数の結論と決裂に至っている。なんだか自分一人がこの世界から切り離されてるような気分になる。孤独っていうのは人混みの中にのみ存在するものらしい。…
レックたちの仲間になる前はいつだってこんな感じで、それが当然だと思っていたから特に違和感を抱きもしなかった。だけど今じゃ、なにしろ四六時中みんながはたで大騒ぎしてるもんで、たまに一人でいると妙に詰まらなくなったり――有り体にいって寂しくなったりすることがある。いつもそうなるわけじゃないし、むしろ一人でいるのを気分良く思う場合が大抵だが、まあ、ごくまれに。
その日は、そういう珍しいほうの日だった。レックを誘えば良かったな。きっと喜んでくっついて来て、あれやこれやとこっちを面白がらせたり面倒がらせたりしたことだろうに。
ぼんやりそんなことを考えてたら、不意に相席の(相席だったのだ)女に声を掛けられた。わりときれいな人だった。なんだかんだ会話して――それでなんとなくその気になって、席を立って一緒に街に出て行った。
そんなようなことが、間を空けて二度あった。


一度目、夜更けに宿に戻ったが、次の日レックはなにも言わなかったし、どんな態度にも表わさなかった。彼が気付いてたのかどうかすら分からないままだった。
二度目、また夜更けに宿に戻ってきて、彼の部屋の前を通りかかったとき――今度はドアが開いて、低い声で「テリー?」と名前を呼ばれた。
立ち止まって振り返ると、相手はドアの陰で微かにため息をついた。
「おかえり。……また、誰かさんに誘われた?」
『また』と、そう彼は言った。あんまり陰鬱な響きだったから、まるでレックでないほかの誰かの声みたいだと思った。
「ああ。なんか用?」
「用、って。いや……お前、マジで平気なわけ?」
オレにはレックの言いたいことがよく分からなかった。返事をしないでちょっと首を傾げると、彼は再び小さなため息をついて、なんでそんな、と呟いた。
「あのさ。コイビトにキスするのとどっかの誰かさんに手を出すのと、テリーの中では別次元のことなのかも知れないけど。オレのほうじゃそうは感じないかもって、ちょっとも思わない?」
それから彼は一瞬口をつぐんで、抱きしめていいかと訊いた。どうぞ、と身振りで応えると、心なしかためらいがちに抱き寄せられた。
「誤解しないで欲しいのは――その、怒ってるんでも、非難してるんでもないんだ。ただ、オレには耐えられない――とても耐えられない」

彼は泣いていたのかも知れない。
今までこちらの価値観について干渉したことのないレックの、干渉せずとも許容し得るほどの情愛の範囲さえ踏み越えてしまったのだと、それでようやく分かった。
黙って相手の顔を見たら、彼は悲しそうに「責めてんじゃないんだよ」と言った。実際にそうなのだろう。
「ごめん」とオレは謝った。「傷ついた?」
「……うん」
「なら、もうしません」

それは至って真剣な宣言だったのだが、レックは眉をひそめて、口を半ば開いたままこちらの顔をまじまじと見た。ずいぶん怖い表情だったから、オレはいよいよ彼が怒り出したのかと思った。しかし直後に彼は気の抜けたようなため息をついた――今度は遠慮なしの大袈裟なため息だ。
それから彼は無言でオレの手を引いて部屋に連れ込んだ。なにか酷い目に遭わされやしないかと訝しんだが、彼はただ髪にキスしただけだった。
「完全に正確な相互理解が図れたかどうかは、多少疑わしいけども」と彼は言った。「でも分かってくれたならいいんだ。まあ……本質的には間違ってない」

オレがなにも言わないでいたのをレックがどう解釈したかは知らないが、とにかく彼はようやく笑顔を見せた。ずいぶん弱ってるような笑顔だ。それで、一緒に寝て欲しいかと訊いてみたら、彼はウーンと考えてから、いらない、と答えた。
「なんか腹立つもん、香水の匂いしてさ」とレック。
「そう?じゃあおやすみ、また明日」
「……いや、弁明しろよ」
しかし弁明はしないでおいた。


かくてそののち、街での食事(特に日暮れ以降)を各々で済ます機会がめっきり減って、たいがいみんなでにぎやかに夕べを過ごすようになった。
それはある意味、彼のぎりぎりの横暴かも知れない。




おしまい
(ときめき10の瞬間/ひなた様よりお題をお借りしました)