見ろよあれ、とテリーが指差した先、ショーウィンドウの奥に飾られていたのは稀代の名剣。綺麗に磨かれた窓ガラスには金の飾り文字で『タント商会』と書かれている。武器屋らしい。
「隼の剣だ。珍しいな。本物かな?」
 いつになく浮かれた表情でテリーは言った。
「握れば分かるかもね」
 なにげなく答えたレックは、言ってしまってからそれが危険な提案であることに気付いた。なにしろ剣士にとって剣との出会いはほとんど運命のようなものである。うっかり気に入っちまったりしたら面倒だ。お前には雷鳴の剣があるだろ、と取りなそうとしたが、すでにテリーは店の扉を開いている。…
 古めかしくて重たい木の扉が開くと、真鍮のドアベルがガランゴロンと鳴り響いた。思いのほか無遠慮で大きい音だ。稀代の名剣がどうかテリーの気に入りませんように、と祈りながらレックもテリーの後に続いた。ガランゴロン。

 長剣の並ぶ店内は薄暗く、彼らの他に客の姿はなかった。カウンターの奥で鼻眼鏡のばあさんがひとり店番をしている。レックが声をかけると眼鏡を外して彼の方を見やり、おやいらっしゃい、どうぞごゆっくり、と言った。それきり眼鏡をかけ直して、手元に目を落としてしまった。本でも読んでいるのだろう。

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 鍔に隼の優雅な意匠が施された極端に細身の剣を眺めて、テリーは「こりゃすごいや」と素直に感心して見せた。想像以上だぜ、と渡された隼の剣を手にして、なるほどね、とレックも呟いた。
「確かにまがい物じゃないらしい」
「うん。しかし中古品だ。使われたことはないみたいだが……」とテリーは言った。
 なるほど、刀身には傷も染みもないが、柄元に『T』と刻印がしてある。よりによって『T』か!ふたりは声を上げて笑った。
「それにしても軽いな。ちょっと軽すぎる」とレック。「なんだか心許ないけど。テリー、振ってみろよ」
 テリーは隼の剣を受け取ると、通路の狭さも意に介さず刃を一振りした。一振り──確かに一振りの刹那、しかし刃は二度閃いた。ふたりは顔を見合わせた。
「おッ……どろいたな!」と、レックは目を丸くして言った。「お前の剣はそもそも速いけど、今のは尋常じゃなかった! 買い増す価値ありかもね。魔法剣ってわけじゃなさそうだけど……」
「違うな。素材も鍛錬も特殊だが魔法の類じゃない。これの出処を知ってるか?」
 レックは頷いた。メッキのようにキラキラした風変わりな刃を持つこの剣が、マウントスノーの刀匠の一族がひっそり受け継いできた門外不出の鍛刀技によるものだというのは有名な話だ。
「どちらかというと聖別に近い」とテリー。「魔法は精霊の領域だが、こっちは神の仕事だ。しかし製法はマウントスノーの氷のお家の中で隠されている。……なにがおかしい」
 テリーが神を語るとは思わなかったので、レックはついニヤニヤしてしまったのだ。分かっちゃいたけど、こと剣の話となると余程(彼にしては)おしゃべりになるらしい。
「別に、なにも。それよりマウントスノーってことは、この五十年、隼の剣は一本も作られてないってことか」
「そう。出回らなくなっちまったもんで、今や天下の稀剣扱いだ。まあレディメイドだから、ラミアスや雷鳴の剣みたいな伝説の剣とは格違いだけど。それでもこれを扱える者はそうそういないって言うぜ」
 じゃあお前はそうそういない方の部類に入るわけだ、とレックが冷やかすと、当たり前だろ、一流だぜ、とテリーは涼しい顔で答えた。
「稀剣っていうより奇剣だね。これを作った人は今ごろ大慌てで五十年分の注文をさばいてるよ、きっと」
 言いながらレックは再び剣を取り返してやおら刃を振りかぶり、素早く一振りした。ヒュッと刃が空を切るかすかな音が、二度。
「──おい剣士さん、レイドック王子も一流らしいぜ」
 テリーは鼻で笑った。これしきの剣が扱えないようで勇者を名乗るなよ。
「一応訂正しとくけど、」と彼は言った。「寝坊して焦ってるのはそれを作った本人じゃないぜ。マウントスノーが氷漬けにされる直前に代替わりしてる。これは先代の鍛錬だ」
「なんで分かるの?」
「鍔の隼の形状で判別できる。刀匠の代が替わるたびに意匠が新しくなるんだ。この剣は隼が翼を広げてるけど、今の──というか五十年前に村が凍る直前に作られたやつは、横向きの猛禽だ。……おい、だからなにがおかしいんだ」
 相手があんまり面白そうにしているもので、テリーはさすがに怖い顔をした。
「いやア、よく知ってるなと思ってさ! テリーが楽しそうに喋るからつられちゃった。それで、そんな古いものなのに使われてないって、一体どういうことだろう」
「さあ、持ち主が剣を抜く間もなく殺されちまったんじゃないの?」
「『T』の悲劇か。お前、他人事とは思えないな。……冗談だってば!」
 それからレックは振り返って店番のばあさんに話しかけた。
「ねえおばさん、これの前の持ち主はどんな人だったか知ってる?」
「さあ……商品のことはよく分からないんですよ」とばあさん。「この店はもともと亡くなった主人がやってたんですけどねえ、あなた、つい先月亡くなったのよ。だけども主人の大事にしていた店をさっさとたたんじまうのもなんだし、とりあえず私でも店番くらいならできるかしらと……あら、あら!」
 のんびりお喋りしながら眼鏡を遠見用に架け替えた途端、ばあさんはすっとんきょうな声を上げた。
「隼の剣ね!それならもとは主人の持ちものだわ。大昔にしつらえて長いこと家に飾ってあったんだけど、主人が亡くなる直前に店先に並べたんですよ。理由は分からないけど……」
 ははあ、とレックは思った。この柄の刻印はタントじいさんの『T』ってことか。運命的ではないか、長いこと埃をかぶっていた名剣が数十年を経て偶然店先に並んだところへ出くわすとは!
 彼が「妙ないわくつきじゃなさそうだな」と余計なことを呟いたのを耳聡く聞きつけて、ばあさんはまあ、と眉を上げた。テリーはあくびをしている。
「どう思う、テリー?」
「うん。ちょうどいいんじゃない? 名前を書く手間も省ける」
 レックは笑った。
「気に入って頂けて良かったけれども、安くはないのよ。主人のつけた値段だから、値引きしないようにしてて……」
 言いながらばあさんは革張りの帳面をめくって記録を確認し、旅装のお若い客人の顔を見て少し困ったように値段を告げた。
 ふたりはちらりと目を合わせた。相当高価には違いないが、有り体にいって適正価格である。テリーが意味ありげに薄紫の目を細めてみせると、レックはほんの少し苦笑いして抜身を鞘に納め、テリーの手に渡した。
「……善良な市井の家族が四か月食べていける額だからな」
「オレなら一年半は持つけどね」
 舌を出したテリーの頭を、レックは取り出した小切手帳でぺし、と叩いてカウンターの方へ歩いて行ってしまった。

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 客は扉をガランゴロン鳴らして帰って行った。

 青い髪の青年が切ったレイドック王立銀行の小切手を眺めて、ばあさんはしばらく首を傾げていた。青インクで流れるようにサインされた長い風変わりな名前を知っているような気がしたからだ。
 しかしそのとき時計が夕方の五時を告げた。──猫に餌をやらなくちゃ。ばあさんは小切手を小さな金庫に片付けて立ち上がると、それきり若い客の名前のことは忘れてしまった。




おしまい