「違う世界ィ?」
 聞き返した自分の声が裏返って、レックは逆に平静を取り戻したような気がした。夢の世界があったくらいだ。よその次元に、我々とは異なる時を生きる人々がいてもおかしくはないじゃないか。
 見慣れない薄鈍色の服をまとって現れた訪問者は、楽しそうに冒険ものがたりを披露している。旅の剣士は相変わらず石に枕する日々らしい。そして、たまに前触れもなく王城を訪れては、王子を驚かせるのだ。

 その日、テリーは昼過ぎにやってきた。王子はちょうど定例会議のさなかで、国王とやいやいやりあっているところへ来客を報ずる伝令が入ったのだった。
 テリーだと? と王子は首をかしげた。あいかわらず唐突なやつだ。長いこと音信不通だったが、暇つぶしにでもきたんだろうか?
 とはいえ、もちろん国家の恩人たる英雄どのの来訪は、定例会議よりも優先されてしかるべきだ──たとえ向こうがただの暇つぶしだったとしても。王子は立ち上がって王に敬礼し、残りの出席者に一礼すると、伝令についてさっさと出ていってしまった。

「面会の部屋はどこです」
 首元の青いスカーフを緩めながら、レックは前を歩く近衛の伝令に訊ねた。
「三階の懇話室にお通ししています」
「三階?」
 レックは怪訝な顔をした。客人には普通、一階で対応するはずだ。少なくとも待合室は来客門の脇にあるし、外来用の会議室も貴賓室もみな一階だ。だいたい、この城の三階はプライベートエリアである。
「はあ、それが、どうやって入られたのやら、殿下の私室にいらしたもので。小間使いが掃除に参りましたら、ソファで眠ってらしたとかで。そのまま向かいのサンルームにご案内しました」
……困ったお客だな。最後の鍵を使ってテラスから入りこんだんだろう」
 マネマネ銀とかいうばかげた名の鉱物で作られた(少なくともそう聞かされている)奇妙な鍵を、城の王子よりは使う機会も多かろうと、最後に会ったときテリーに渡していたのだ。

 午後の陽射しを受けてすっかりぬるんだサンルームの籐いすに腰かけ、そろいの机に頬杖ついて、テリーはさきほど王子の部屋で勝手に拝借した本を読んでいた。そして、心地良い室温にうとうとしかけていたところへ、ノックの音と近衛の口上に続いて王子が部屋に入ってきたのだった。
「やあテリー、ひさしぶり! また窓から入りこんだな。ちゃんと門から来いって言ってるだろ」
 レックはフロックコートを脱ぎながら、あきれ半分、とはいえ数か月ぶりの再会に嬉しさ半分の声で言った。
「ひさしぶり。あいかわらず元気そうだな。なんだか知らないが、キメラの翼を使ったらこっちに着地したんだ」
「そりゃまた恐るべき精度じゃないか」とレックは笑った。「よっぽどオレに会いたかったわけだ。……いやいや、冗談だよ」
 テリーが黙って腰に下げた剣を抜いたので、レックはぎょっとして身を引いた。しかしテリーには剣呑な意図のあったわけでもなかった。
 「見ろよ、これ」と、彼は深い青みを帯びた刀身を嬉しそうに捧げてみせた。
「新調したのか。好きだなぁ、おまえ」
 何気なく手を伸ばしたレックは、しかし、星の装飾のあしらわれた剣を手渡された瞬間、わずかに顔色を変えた。
「これはまた、エラいもの手に入れたな」
「星屑の剣だ」
「へえ。いや……これはだめだ、オレじゃ扱えないや。テリーは使えるの?」
「ああ。まるであつらえたみたいだぜ」
「たいしたもんだね。……それにしても酷く冷たい剣だな。美しいが非情だ。オレにはこういうタイプの剣はてんで合わないが」
 ラミアスの剣とは真逆か、とテリーは低く笑った。
「そういやレック、あれのことをナントカみたいな剣だって例えてたことあったよな。『風薫る五月』だっけ?」
……五月? 覚えてないけど、たぶんそれは言ってないんじゃないかなぁ。まあ、確かにラミアスには慈愛がある」
 持ち主と同じだ、と笑いながら、レックは星屑の剣を相手に返した。
「それで、こんな代物どこで手に入れたんだ? ──あと気になってたんだけど、その服どうしたの? 沼にでもはまった?」
 これか? とばかりに、テリーは自分の上着の裾をつまんだ。いつもの旅装とほとんど同じ仕立てだが、見慣れたつゆくさの青ではなく、暗い灰色をしている。
 話すと長くなるんだが、とテリーはもったいぶってみせた。
 聞いてやるよ、とレックは微笑んだ。

 テリーの話は本当に風変わりだった。なにしろ次元を超えた異世界へ迷いこみ、そこで闇の王との戦いに加担したなどと言う。
……つまり、よその世界にもデスタムーアみたいなのがいて、それをやっつけたってわけだ」
 レックはなんとかかんとか納得におりあいをつけながら言った。
「なりゆきだけどな。闇の王の、……なんてったかな、名前は忘れたが、とにかくそいつが悪さし始めたのさ。闇と対峙する光の一族の末裔を手助けしてやったんだ」
「闇の王ねぇ。そいつが話のメインだろ? なんで名前忘れるんだよ……。ともあれ、こっち側のキーパーソンは光の一族か」  
「そう。若い末裔が二人だけ生き残っていた。大きな国の親衛隊長の男と女で、相当な使い手だったぜ」
 テリーが言うくらいだから、本当に腕が立ったに違いない。それに、きっと良いやつらだったんだろう。なにしろ彼らの話をするとき、テリーはとても楽しそうにしている。
 新しい衣装は、どうやら人助けのお礼のようだった。
「頼んでもないのに作ってくれたんだ。どぶねずみみたいな色だなって言ったら、メーアが『うすにびいろ』だってさ」
「──薄鈍色か。似合ってるよ、テリーのきれいな髪の色が映えて。地味だけど」
 テリーは眉を上げた。レイドック王子の旅装束と比してなお地味でない衣装などあるものか。
 それからレックはいったん席を立って人を呼び、なにか言いつけたようだった。いくらも経たないうちに給仕がやってきて、お茶の一式と瀟洒なとりどりの軽食を並べて出ていった(「ずいぶんたくさん食べものを持ってきたな」と王子はつぶやいた。「よほど長話になると思われてるらしい」)。レックはお茶に口をつけると、話を戻した。
「で? その、アクトってのがパーティのリーダーだったんだ」
 ああ、と頷いて、テリーはしげしげと相手の顔を眺めた。
「少しだけレックに似てたぜ。動く前にやたらと考えたがるんだ。おまえと違って話の長いやつだったが。それに、病的な作戦好きだったな」
「ふうん……そりゃ一回会ってみたいもんですねえ」
「この剣は試練の報酬だったんだが、彼がいなきゃどうにもならなかった」
「試練? テリーが受けたの?」
「ああ。しかしひとりじゃ無理で、親衛隊長のふたりが助けてくれた。試練に関しちゃ、はっきり言ってほぼアクトの功労だったぜ」
 ……悔しいけどな、とテリーは言い足した。
「ふうん。でもテリーが貰っちゃったんだ、星屑の剣」
 テリーは肩をすくめた。
「そう、貰っちゃった。さすがにオレが受け取るのは筋違いだろうと思ったら、あいつが。
「アクトが。
「やつは『完璧な作戦』を担当するから、オレのほうは最強の剣を担当しろってさ」
……ふうん」
「最強の剣は最強の剣士にこそふさわしいと言われたから、それもそうかと思って」
「ふうん。……いや、そこは素直に納得するのかよ」
 オレは最強の剣士だからな、とテリーはえらそうに腕組みをして言った。
「べつに否定はしないけど」とレック。いつものことだが、その不遜さはいったいどこからくるのだろう。「それにしてもずいぶん気に入ったみたいだね、そいつのこと」
 まあな、と答えてからテリーは指先をあごにあてて、きょとんと相手の顔を眺め──直後にその美貌の上に涼しい笑みを浮かべて(世にも残酷な微笑みじゃないか、とレックは思った)、「それがどうかしたか?」とのたまった。
「どうもこうもしませんよ。しかしおまえにそこまで言わせるとは、ちょっと妬けるね」
 レックは肩をすくめた。アクトとかいう男、テリーにすっかり心を開かせてるじゃないか。テリーの倫理観ときたら、王子のそれからすればはなはだ飛んでいるので、つい要らぬ勘ぐりをしてしまう。テリーめ、まさか手ェ出しちゃいないだろな。
「心配するなよ、レック。……おまえに輪をかけてヘタクソだったし」
「はア?! なにが?!」
 冗談だよ、と舌を出したテリーに向かって、王子は銀のティースプーンを投げつけてやった。額に飛んできたスプーンを、テリーは間際でひょいとかわした。
「行儀悪いな、城の王子が」とテリーは笑った。「だいたい、どこでなにしようがオレの勝手だろ」
「そうさ、オレのいないとこで誰とどんなことしようが、もちろんテリーの勝手だ。でもそのかわり、オレが妬くのだってオレの勝手だろ」
……勝手に妬いてろよ。どうしてもヤボな事実確認がしたけりゃ教えてやるが、あいつ誰が見てもメーアに首ったけだったぜ」
 ふうん、とレックは唇をとがらせた。
「なんか気に食わないなぁ。そいつがほかの子に首ったけじゃなけりゃ、なにかあり得たみたいな言いかたしやがって」
「そんな仮定の話はわからないな」
「せめて否定しろよ、ばか。ちぇ、次はお湯の入ったポットを投げてやる」
 テリーはふたたび笑った。
「さっきも言ったが、アクトはどことなくおまえに似てたんだ」
「だから好きだったとでも?」
「まあ……そうだな。たしかにそういうところは好きだった。メーアとふたり、おまえに匹敵しそうなほど文句なしに強かったのも好ましかった」
「好き好き連呼しやがって。オレにも好きって言えよ」
 ぶつくさ文句をつけている相手の顔を、テリーは口をつけた茶碗ごしにじっと見つめた。黙ったままで、ぬるくなった紅茶をゆっくりとあける。やがて空になったカップを机に置きながら、彼はようやく口を開いた。
「──言ったつもりだったんだがな」
 レックはなんどか目をぱちぱちさせたあと、彼にはめずらしく、ひどく所在なげに視線をそらしてしまった。
「悪かったよ」と、彼はほんの少しだけ頬を赤くしてつぶやいた。

 昼間は深入りしてこなかったが、本音では思うところがあったのかもしれない。──夜になってあらためて王子の私室に誘われたテリーは、寝台の広いシーツの上でそんなことを考えた。レックときたら、まるで咎人をいましめるみたいにテリーを後ろ手で縛って、ずいぶん一方的な抱きかたをしたからだ。乱暴ではなかったものの、少なくとも強引ではあった。テリーは何度か文句を言ってやろうと思ったが、そのたびに相手のいつになく熱っぽい瞳に押され、かつ十二分の快楽にたっぷり満たされていたもので、つい興が乗って最後までつきあってしまったのだった。
 さんざん好きにしたあと、レックはすっかりへたばっている相手の拘束を解いて、なにごともなかったみたいに穏やかなキスをした。まだ少し痺れている手のひらに重ねられた指先を、テリーは素直に握り返した。レックは口元を薄く歪めた。
「従順なんだな。もっと抵抗されるかと思った」
 テリーはほんの形ばかり相手をにらんだ。
「だったら最初からするなよ。……ただのごっこ遊びだろ。めくじら立てるほどのこともない」
 ものたりなかったわけだ、とレックはくすくす笑った。
「生意気め。まだ続けたっていいんだぜ? テリーが『参った』って泣きつくまで」
 返事をするかわりに、テリーはのしかかったままの相手の頭に拳を落とした。ごん、とまぬけな音が響き、そろって顔をしかめたふたりの目が合う。すぐに、どちらともなく笑いだしてしまった。
「だいたい、おまえは反省するべきじゃないのか」とテリー。「いもしない恋敵に嫉妬して好き勝手しやがって。──おい、場所を替われ。降参して泣くのはおまえのほうだ」
「やだよ! 降参、降参」
 レックはあわてて上体を起こし、両手を顔の横に上げてみせた。テリーに好き勝手させたら、泣かされるどころか大けがしそうだ。
「ねえ、昼も言ったとおり、べつに誰かさんとの具体的な浮気を疑ってるわけじゃないんだよ。……やきもち焼いてるのは認めるけどさ」
「やきもち? 誰に?」
「──どこでなにしようが自由だと思ってるおまえに、だよ。オレが恋人に対してなんの独占欲も支配欲も持たない人間だと思うなら、大間違いだからな」
 ふうん、とテリーは首をかしげた。
「もちろんおまえはおまえの思うまま自由に生きてくれりゃいいけど……でもたまには、レイドックのお城でテリーを想ってる律儀で誠実な王子さまのことも気にかけたらどうだってハナシだよ。ああもう──そんな澄ました顔しやがって、腹立つなぁ! おい、わかるだろ?」
「浮気は隠れてやれってことだろ」
……黙れ、ばか」
 王子はたまらずこめかみを押さえた。テリーは寝転んだまま腕を伸ばして、枕元に座りこんだ相手の鼻先を爪ではじいた。
「冗談だって」と、テリーは軽やかな笑い声をあげた。「なあレック、わざわざこっちから逢引きに来てやってるんだぜ。もうちょっと信じろよ」
「信じろって、おまえの愛情を?」
「いや、愛情の話はよくわからないが。少なくとも、ほかの誰かじゃレックの代わりにはならない」
 レックは今度こそ頭を抱えた。なんて難解なやつだ。
……なんだか体目当てで会いに来ているみたいに聞こえるんだけど──いや、まあいいや。つまり、おまえはオレを好きでたまんないからオレじゃなきゃ満足できない、って解釈しとくよ」
 テリーは鼻で笑っただけで、否定も肯定もしなかった。
「じゃあオレは、おおっぴらな浮気はレックが嫌がる、と解釈しておこうか?」
……好きにしろよ、もう」
 ため息まじりに言いながら、レックは天井をあおいだ。言葉尻ばかりとらえて、われながらなにもかも些末事だなぁと投げやりな気分にもなる。横目でちらりと隣の男に視線をやれば、相手も自分をじっと見つめていた。今さらのように美しい人だ。美しくしばしば非情な──そう、彼が見せびらかしにきた、あの星をまとった青い剣のような。あの剣はとても自分の手には負えなかった。剣のほうでレックを選ばなかったからだ。
 レックは相手の上にかがみこんでキスをした。そのまま長々と求めあい、唇を離すころにはすっかり体温が上がってしまっていた。間近で覗いたテリーの瞳が情と欲にうるんでいる。このきれいな男が、はたして自分の手に負えるかどうかは永遠にわからないだろう。なにしろ、彼と自分には熱をおびた血が通っているのだ。
「さっきの続き、してもいい?」とレックはささやいた。
「レックを降参させるんだっけ」
「いいや。おまえに『参った』って言わせるんだよ」
 オレのほうはとっくに降参してる、とレックは笑った。ふたりはもつれあいながら、ぬるいシーツの上に転がった。





おしまい