夜も更けたころ、宿の薄暗いランプの下で外套のほつれを繕っていたら、玄関の大扉を外からがんがん叩く音が開け放った二階の窓まで響いてきた。

 迷惑なやつもいるものだ。酔っ払いだろかと窓からのぞいてみればテリーである。ほとんど同時に、ふたつ向こうの部屋の窓が開いて寝間着のミレーユがひょこりと顔を出し、真下の光景に眉をひそめ、それからこちらを向いて肩をすくめてみせた。階下では宿のおやじ(頭頂部のきれいに禿げているさまが上からだとよく見える)が表に出てきて「どうもお遅いお戻りで。お静かに願いますよ」などと苦言を呈している。


 酔っ払いをひき取りに出ようともたもた支度を整えているうちに、テリーはさっさと部屋へ上がってきたらしい。先ほどと違って控えめなノックの音がした。

「おかえり。…」

 どこへ行っていたのかとこちらが訊ねるより先に、テリーはオレの腕の中に倒れこんできた。煙草とアルコールの匂い。どこかの紫煙けぶるカフェにでも居座ってたんだろか。

 さしあたりの懸念は開け放しのドアだったが、オレが手を伸ばすまもなく、テリーは足を後ろ蹴にしてバタンと閉めてしまった。存外しらふなのかも知れない。

 案の定、直後にドアの向こうからミレーユの声がした。

「……レック? テリーは上がってきたのかしら」

「いるよ、ここに」と、鍵のかかっていないドアを見つめてひやひやしながらオレは答えた。「酔っ払って寝ちゃった。放っとけないからつき添っとくよ」

 まあ、とミレーユは呆れたようにため息をついた。

「ごめんなさい。そうしてもらえると助かるわ。……困った子ねえ、不良になっちゃった」

 オレはお愛想でなく笑った。それから彼女はおやすみを言って自室へ戻っていった。


 さて、当の弟君のほうはオレの胸に顔を埋めたままでいた。

「こら、不良」

 声をかけると、彼は首をかしげてこちらに目線をよこした。いかにも上機嫌である。切れ長の眼が潤んでいるなと思っていると、唇に噛みつくように短くキスされた。

「いちおう言っとくが、テリーの部屋は隣だよ」

「オレはここで寝たいんだ。嫌なら出てけよ、隣の部屋なら空いてるぜ」

 思いのほかしっかりしたようすの彼の言葉に、オレは苦笑いするしかなかった。相変わらず可愛げあるんだかないんだか解らないもの言いをする。

「……嫌じゃないけど。お酒飲んできたの? 珍しいな。ひとり酒?」

「まさか」とテリー。

 普段ほとんど酒を飲まないテリーがわざわざひとりで飲んだくれるはずのないことくらい、もちろんオレにも分かっちゃいたが。

「知らない人とさ。奢りたそうにされたから奢られたんだ」

「なるほどねえ。煙草をスパスパお召しになる、──ご婦人だか紳士だか知りませんけど」

 テリーは鼻で笑った(相手が婦人か紳士か明かすつもりはないらしかった)。

「こっちはだいぶ酔っ払っちまったし、向こうさんの調子も上がってきたもんで。…」

「逃げてきたわけだ」

「そう。なにしろレックにめそめそされちゃかなわないからな」

 ありがとう、とここでオレが礼を言うのはどう考えても筋が通らないなと思いながらも、オレはつい「ありがとう」と口にしていたのだった。 

「どういたしまして」とテリーは澄まして答えた。「まあ、さっさと帰ってレックとやりゃ良いかと思って。……そのほうが道徳的だし?」

 アルコールが回っているにしたって、あんまりな言いぐさじゃないか。オレは思わず噴き出してしまった。

「お前、いつもオレと道徳的に寝てたんだ」

「それはもう、清く正しく」と、酔っ払いはやけに楽しそうに答えた。「それとも背徳的なセックスに興味ある?」

「いらないよ。オレは育ちが良いの。ねえテリー、ベッド行こうよ」

 オレはすっかりその気になって、相手の背中を抱きしめた。

「このまま床でするより道徳的だしな」とテリー。

 よくわからないが、彼は道徳的という言葉が気に入ったらしい。

「別に変わんないと思うけど。……まあ衛生的ではあるか」

「しかも快適だ」

 いいかげんお喋りも面倒になり、オレは腕の中のテリーをひょいと抱き上げた。怒られるかと思いきや、彼はくすくす笑って「わざわざ帰ってきたんだ。ちゃんと楽しませろよ」と生意気を言った。

 道徳なんかくそくらえだ。




 テリーがどれほど楽しめたかは知らないが、少なくともオレは、翌日ほつれたままの外套を着てすごすことになってしまった。




おしまい。