21.
レックは恋人いたことあるの?とバーバラに訊かれた。「昔、シエーナの女の子と。ライフコッドにいたころだけど」と答えると、王子様のロマンスストーリー、と(何がおかしいのか)クスクス笑う。
でもテリーが「そりゃ夢の中の話じゃないか」と呟いたので、今度は仲間全員にどっと笑われてしまった。


22.
ひょうたん島の宿で夜通し枕投げをしたら、翌朝あるじに「昨日はお楽しみでしたね」だなんて嫌味を言われてしまった。騒々しくし過ぎたなと反省して、次の日は外で枕投げをしたら──枕はすぐに、みな海へ飛んで行ってしまった。おかげで早々に就寝できたが、あるじには余計に怒られた。


23.
外は嵐。テリーは窓際に立ってガラスの向こうを眺めていた。レックに声をかけられ、彼はうつつに呼び戻されたかのように振り返った。「雨なんて」と表情もなく呟く。陰鬱な記憶と共にある日々はいつも雨だった気がする。そう、あの日も。
しかしレックは明るく笑った。「傘を持ってる。一緒に入ればいいよ」


24.
雨上がりの匂いが好きだった。せせらぎの始まり、生命の息吹、遥かな虹。水たまりを飛び越えながらそんなことを言ったら、テリーは呆れたように「詩人かよ」と答えた。色気ないやつめ。「降られてる時はウンザリするが」「いつか止むことを知ってるから、雨も悪くない」
変な奴、とテリーは呟いた。


25.
夜遅く宿に着き、俺とレックに割り当てられた部屋は屋根裏だった。おりからの荒天で、ドラムを打ち鳴らしたように雨音が鳴り響いている。会話もままならず(お互い何を言っても聞き返してばかりだ)、耳栓して寝ちまおうとすると、布団にレックが潜り込んできた。
好都合じゃないか、と彼は囁いた。


26.
秋の始まりを告げる初嵐にテリーの帽子が舞った。赤茶けた落葉にひとしきり揉まれたあと、帽子はけやきの高枝に引っかかってしまった。地面から株立ちで扇型に広がった樹の先、濁った空を背景に色インクを落としたみたいな青い帽子。思わず「諦めなよ、新しいの買えば?」と言ってしまった。


27.
モルガン邸の主と面会したあと、町を出るまでレックは一言も口をきかなかった。荒野に立って、彼はようやく「魔物も困るが、ひとの悪意ほど参るものはないな」と呟いた。本当に参っているのだろう。彼は根っこから人間の善意をよすがにしている。…下らない、とテリーが思わなくなったのは最近のこと。


28.
季節の変わり目、どうも喉がいがらっぽいなと思っていたら、翌日の朝には酷い頭痛と倦怠感。朝食に起きてこないテリーの様子をレックが見に行くと、彼はふらふらしながら部屋から出てきたところだった。「大丈夫?熱あるなら馬車で寝てなよ」「バカ言え、平気だ」「…ズボン履き忘れてるぜ」


29.
邪の払われたクラウド城の大窓を開け放ち、テリーは遥か霞に隔たる眺望を見下ろした。大気より生まれたばかりの清冽無垢な風がザアと吹き抜ける。高い所は好きだ、と言うと、傍にいたレックが「住み心地は悪くなかったわけだ」と冷やかした。「違う。ついさっき好きになった」テリーは真顔で答えた。


30.
あえかな容貌の所為もあるだろうか。こころか頭のなにかしらが欠けてるんじゃないか、と思わせるところがテリーにはあった。まだ互いのことを深く知りもしないころ、とりとめない会話のさなかにふと、まるで珈琲に砂糖を入れるかと尋ねるみたいに「抱いてみる?」と訊かれ──それきり全てが変わった。