無理し過ぎたな、とリーダーは苦い顔をしました。
パーティ四人は洞窟の最下層で立往生していました。洞窟は地下五層からなる、と情報を得ていたのが却って判断を狂わせたのかもしれません。四層目までは、やけに気温の低いほかはなんてこともない洞窟だったのです。ただ、たまに出てくる魔物の中に凍りつくような冷気を吐き出すやつがいて、なかなか手こずらされたくらいのものでした。
五層目に降りる階段の前で、レックはほんの少しだけ迷いました。ひょっとしたら洞窟の一番奥深くには強い魔物が棲みついているかもしれない(よくあることです)。道順やトラップは把握できたし、ここでいったん引き返して万全の状態でアタックし直すべきだろうか?
しかし彼は引き返さずに最下層へ階段を降りる判断をしました。いざとなったらバーバラにリレミトを頼めば良いと考えたのです。
五層目に降りると急に天井が高くなって空間が広がり、空気も変わったようでした。それでなんとなく嫌な感じがするなと思った途端に魔物がわらわら寄ってきたのです。魔物どもはばかのように吹雪を吐きまくり、どうにか全部やっつけてしまうまでに、レックはほんのちょっぴり、テリーはそこそこ、ミレーユはたいへん深く、手傷を負ってしまいました。なにより悪いことに、バーバラは魔力をほとんど使い果たしてしまい、みんなを地上に転移させるだけの余力がありませんでした。なにしろ炎の呪文で敵の吹雪を相殺するのに躍起になっていたのです。

「参ったな。バーバラ、ミレーユだけでもリレミトで連れて帰れない?オレの呪文じゃミレーユを回復できない」
レックはぐったりしたミレーユの応急処置をしながら言いました。
「ミレーユだけなら、なんとか……」
「よし、じゃあ二人で戻ってチャモロに回復してもらってくれ。こっちは歩いて引き返すから」
「いいけど、テリーのけがは?」
「……大丈夫だ」とテリーが言いました。
「大丈夫だ」
レックは反復し、それから難儀してベホイミを唱えました――彼も相当に疲労していたのです。やがて傷はほとんどふさがり、テリーはバーバラに肩をすくめて見せました。
「道順はミレーユが記録してるはずだから、上で確認してくれ。あと、聖水分けてもらえる?」
バーバラは青いリュックの中をがさがさ探りながら答えました。
「すぐにみんなと迎えに来るね。レックたちは無理しないでここで待っててくれてもいいよ」
「いや、オレたちも来た道を戻るよ。このフロアは危ないから。上の層ならオレたち二人だけでもどうにかなると思う」
「それに、こんなところでじっとしてたら寒いだろ」とテリーが口を挟みました。
「……だそうだ。じゃあ途中で落ち合おう。――ほら、早く」とレックはミレーユに視線をやって言いました。
バーバラはこくりと頷き、彼の掌に小瓶を二つ握らせると(細長い方は聖水の瓶で、ずんぐりむっくりした方にはゼリービーンズが詰まっています)ミレーユの脇に屈んでその腕を取りました。
気をつけてね。…
彼女の不安げなまなざしは淡い魔法の光の中に消えました。



「やれやれ、えらいこっちゃ!さあ頑張って帰るぞ、テリー」
バーバラとミレーユがいなくなると、レックはことさら元気に腕をぐるぐる回して言いました。テリーは大きなため息をつきました。
「エライコッチャじゃないっての。バーバラがリレミト使えないほど消耗してたらどうするつもりだったんだ」と彼は咎めました。
「それは反省してるけど。特にミレーユについてはさ」
「当たり前だろ!いいか、チームの手柄はみんなの手柄だが、チームの失敗はリーダーの失敗だからな」
まったくもってその通りだなとレックは思いました。テリーめ、しゃあしゃあと抜かしやがる!しかしまあ、反省するのはさしあたっての苦境を切り抜けてからにしよう。
「一匹狼が、知った口利くねえ」と彼は舌を出して見せました。「……いや、解ってますよ、そんな顔すんなよ。今後は気をつけます。でも、とりあえず今はオレたち二人とも無事に地上に戻れるかどうかが大事だ。とにかくここを離れよう。けがはどう?動けるか?」
テリーは鼻で笑いました。
「誰に向かってもの言ってやがる。さっさと行こうぜ」
それから二人は白刃を手にしたまま、急いで引き返しました。

階段を昇って一つ上の層に戻ると、二人はようやく重苦しい感じから開放された気がしました。互いに口にはしませんでしたが、下の階はどうも不吉な感じがして落ち着かなかったのです。レックとテリーは顔を見合わせました。安心するには早過ぎますが、それにしてもどっと疲れが出た気がしました。
「オレは大丈夫だが……レックは疲れたんじゃないのか?少し休んでもいいぜ」とテリーは澄まして言いました。
休みたいなら素直に言えよ、と返さなかったのはレックの英断でした(つい言いかけたのをぎりぎりで引っ込めたのです)。テリーには別段の他意もないようでした。
「オレも疲れてないから、このまま強行軍で行こう。……ってところから難局ぞ兆す、だ。よし、休憩しよっか」
言うなり彼は荷物を放り出し、石の壁にもたれてそのまま座り込みました。テリーは横目でちらりと彼を見ました。
「魔力を使い果たした状態って、嫌な疲れ方するんだってな。オレには感覚が解らないが」
「お前は魔法使わないからなあ。そうだね、体力を消耗したときとは違って、精神を磨り減らしてんのさ」

テリーは黙って彼の隣に腰を下ろし、革の水筒を差し出しました。レックの手持ちはみなミレーユの処置に使ってしまったのです。渡された水筒は寸胴で、赤茶の革が経年でよく馴染んでおり、蓋のところには白鑞の小さなコップが被さって取り付けられるようになっていました。コップの側面には緻密なアラベスクの紋様が彫金されています。レイドック王子の目から見ても素晴らしい金属細工です。その工芸品のような美しいコップに、王子は水を注ぎました。口に含むとハッカとメリッサの清々しい香りがしました。
レックは柔らかいため息をついて、「いい匂いがする。なにか入ってるの?」と尋ねました。
「チャモロが水出しの香草をくれたんだ。疲労にも多少の効能はあるってよ」
「へえ、オレも頼んでみよう。ありがとう(言いながら彼は水筒とコップを持ち主に返しました)――いいコップだね」
テリーは鈍く光る白鑞のコップを目の高さに捧げ持って、にやっと笑いました。
「ヘルクラウドでくすねてきたんだ。水筒にもともと付いてた陶器のが割れちまって、それでぴったりの大きさのがあったから」
「じゃあ元来はゼニス王のものか。道理で細工が一流なわけだ。魔物に荒らされなくて良かった」
「貴金属でもなし、ただの錫だからな。魔物は細工なんて見ないだろ」
「テリーも見ないだろ」
まあな、とテリーは笑いました。
「お前に言われるまで、コップの柄なんて気にしたことなかったが――おい、レック?」
隣に座ったレックが唐突に頭をもたせかけてきて、なにごとかと顔を覗き込むと、呆れたことに彼は眠っているのでした。
「……いきなり寝るなよ」
テリーは困ったように呟きましたが、それ以上はなにも言わず、またレックを起こそうともしませんでした。睡眠は魔力を著しく回復させるので、少しくらい眠らせてやっても良いかと思ったからです。それに。…
疲弊するのも無理はない、と、レックのつんつん逆立った青い髪を撫でつけながら(頬に当たってくすぐったかったのです)テリーは考えました。パーティの死活は問答無用でリーダーの指揮にかかってる。……いやパーティどころじゃないな。神ぞ宣う、勇者よ巨悪を覆せと――レックが望もうが望むまいが、世界は彼を必要としているのだから。
テリーは小さく息をついて、こんな場所でのんきに眠りこけている同い年の英雄の横顔をもう一度眺め、それからにわかに肌寒さを覚えてレックの荷物の中から勝手に肩掛けを取り出しました。細いヤギの毛で織られた薄手で大判で滑らかなストールは、いかにも上等で暖かです。テリーは肩掛けを広げ、ちょっと逡巡してから隣のレックにも一端を羽織らせてやりました。……オレの方は気楽じゃないか。こいつの手足となって、ただ目の前の敵さんを斬り捨てるだけ。
しかし彼は、レックについちゃ大したもんだと感心こそすれ、それがために卑下するわけではありませんでした。テリーがしゃにむに強さを求めて修練を積んだとして、それは今やおおいに勇者のお役目に貢献するのだから。
僥倖なことさ、と彼は思いました。



いつの間にか眠っていたようでした。
迂闊なことを。慌てて身を起こすと、レックと目が合いました。隣に座ってバーバラのゼリービーンズを食べています。テリーの肩にはきっちりストールが巻かれていました。きっと先に目を覚ましたレックが掛け直したのでしょう。
「おはよう、テリー」と、口の中でゼリービーンズをもしゃもしゃさせながらレックは言いました。「二人して寝込んじまったことについては、言っとくけど後追いしたお前の方が悪いんだからな」
テリーは肩をすくめました。
「聖水が効いてて良かった。……少しは回復したのか?」
「そうだな、まずベホイミ三回分ってとこだ。これ食べる?」
レックはゼリービーンズの瓶を差し出しました。テリーは瓶を受け取って、代わりに肩掛けを(くしゃくしゃのまま)相手に返しました。それからだいだい色のビーンを選って口に入れたものの、すぐに顔をしかめました――なにしろ起き抜けには甘すぎました。
肩掛けを畳みながら、レックは言いました。
「ゼリービーンズ食べ過ぎちゃったな、喉乾いてきた。……あっこら、人のストールによだれ垂らしやがって」
「……お前はオレの肩によだれ垂らしてたぜ。水筒はもう空だ。緊張感ない奴だな」
レックはあいまいに笑いました。人の眠ってる横で同じように寝ちまうほうが緊張感ないと思うがなあ。
「まあね、もうサボっていいかなって。このままここでおとなしくお迎えを待って、リレミトで連れ帰ってもらおう。十二分に働いたよ」
「甘ちゃん王子め」
揶揄したものの、テリーに異存はないようでした。二人とも心のうちでは、寝るほど疲労してしまったことを少なからず反省していたのです。



続きます