外は雨。
女の子たちは一緒にどこかへ行ってしまったし、ハッサンとアモスは連れ立ってどこかへ行ってしまったし、チャモロとテリーはそれぞれひとりでどこかへ行ってしまった。
みんな悪天候を冒してまで、なにを求めてどこへゆくんだ。…

もう三日も足止めをくらってる宿屋で、ロビーのソファに座ってガラス窓を伝う雨を眺めている。
今日一日をなにして過ごそうかと考えていたら、外からテリーが帰ってきた。町外れで待ってるペットの世話を焼きに行ってたらしい。暇だから構ってよ、と言ったらイヤ、とだけ答えて部屋に戻ってしまった。なんだばか。冷たいやつ。あーあ、オレはもっと幸せやらで満たされたいです。
悲しい気分に浸りながらだらだらしてたら、かわいげないその男はいつの間にか机を挟んで向かいのソファに座って、首を傾げてこっちを見てた。

「なにやってんだ」と怪訝そうに彼は訊いた。
「うん……自分ってかわいそうごっこ」
オレはいいかげんな返事をした。
「ふーん。邪魔したな」
言いながらテリーは立ち上がりかける。真に受けてるのか呆れてるのかよく分からない。
「いやいや、もう大丈夫だから!お前こそなにしに来たんだ」
「……暇だったら構ってくれる?」 

きまぐれで、たまにかわいげあるやつ。 …



正直なところ、オレは幸せで満たされる展開を期待したんです。
でも彼が言い出したのはぜんぜん違うことでした。

「呪文教えて欲しいんだが。……なんだよその顔は」
「別になにも。そっち系かぁ…」
「いや、ホイミ系。部屋にチャモロがいなかったから、まあとりあえずお前でいいや。なあ、半日でホイミ使えるようになるかな?」
「うーんどうだろう。なんでいきなり呪文覚える気になったの」
いや、なんとなく、とテリーはごにょごにょ言った。
理由は、ほんとは想像がつかないでもないけど。昨日ミレーユと話してるのを聞いてたんだ。

『あなた魔法の素質も持ってるのよ。その気になれば、けっこう使えると思うの』
『いらないよ、オレには剣があるから』
『ふふ、そうね。気が向いたら回復魔法でも勉強してみたらいいんじゃない?』

それで即刻、気が向いたのか。恐るべし。


「エー、回復魔法を使うときに一番大切なのは思いやりの心です」
オレはちょっと適当なことを言ってみた。テリーは神妙に聞いている。
「ホイミの半分は優しさでできています」
……これは、すごく適当。
「まあいいや。とりあえずやってみなよ」 
そう投げっぱなしてみたら、テリーはさすがに困った顔をした。
本当はこっちだって困ってるんだけど。
魔法っていうのは、簡単に人に説明できるようなものじゃない。ある瞬間にいきなり解る。それで、いったんできたら二度と忘れない。理屈で分かるんじゃなくて、ものすごく感覚的なものだ(だから一般的に女の人のほうが得意なんだろう)。

「なんて言うか……思考を身体から切り離して、対象に集中させて、えいや!ってこう……」
「言ってることが分からないな」
「……だよな。うーん、たぶん解ればすぐに使えるよ。いったい、魔法を使うにはキャパシティとセンスが必要だ。使える魔力の容量と、それを操作するための感覚。お前には感覚が欠けてる。だから魔法が使えない」
要するに鈍感なんですよお前は、ってこと。これは言わないけど。
「でも容量はけっこうあるから、練習すればできるようになると思う。苦労するだろうし、そもそも難しい呪文は無理だけど」
「キャパシティとセンス面で、か。つまり才能があるんだな、バーバラとかチャモロとか魔法の得意な奴には。……それで、どうすりゃいいって?」
「とりあえずやってみなよ」
オレは自分の指をナイフでちょっぴり切りつけると、ほら、と差し出した。
「とにかく魔力を集める。ええと、めっちゃ集中して、癒えろ癒えろ癒えろ、って念じる」
厳密には正しくないけど、まぁまずはそこから。
「呪文にはなんの意味があるんだ?『ホイミ』って言うだろ」とテリーは模範的な質問をした。
「呪文が引き金なんだ。言葉にしないと魔法は絶対に発動しない」と、オレは誰かから聞きかじったまんまを答えた。「よく分からないけど、それが古い約束なんだって」
「約束?誰との」
「精霊」
テリーはいかにも苦手分野、って表情になった。さもありなん。

それからテリーはオレの手を取って、たぶん彼なりに力を集めようとしてるんだろう、怖い顔で指先を睨んでいる。だけど残念ながら魔法の気配はなし。
「うーん、ちょっと違うな。それは力んでるだけだ」
「そう?」
「むしろ力を抜いて、ふわふわする。意識だけを独立させる感じ」
「ふわふわねえ」
ムツカシイんだな、と言ってテリーは目を閉じた。髪の毛はすごくふわふわなんだけどなあ。
そのまま、だいぶ時間が経った。手持ち無沙汰に外を見ている――さっきと同じだ。結局、今日はガラス窓を伝う雨を眺める日になるらしい。

やがて、ふうと息を吐いてテリーが目を開けた。
「すごく疲れる」と彼は言った。
「精神を消耗するんだよ。その調子だ、何度か魔法の気配がした。……じゃあ見本」
指先に力を集めて、ホイミ。
一瞬で傷がふさがるのをテリーは真顔で見つめている。ふと目が合ったのでフフンと笑ってやったら、あからさまに悔しそうな顔をした。
「練習するから、もう一回ケガしろよ。ほら、ナイフ貸せ」
「……自分でやります」

目をつむって集中するテリー。静かな雨の音。…
そのときふと、血の滲む指を差し出す自分と、目を閉じて傷口に触れている相手、という関係性に思い至った。
とても滑稽だし、それに。…

――気付けば魔力が集まっている。
「ほら、呪文」
「え?あっ、『ほいみ』?」
これはもちろん失敗。
「うん……だめ。でも今の感覚だ。あとはタイミングを合わせて呪文を唱えりゃいいんだ」
「じゃあもう一回」
だけど窓の外に見えたものが、彼の気を変えてしまったらしい。
「……あー、やっぱり今日はもういいや。あとは一人でやる。ありがとう」

表のドアが開いて、ミレーユとバーバラが帰ってきた。テリーはもういない。



それから彼は、自分の部屋にこもって一人でずっと練習していたみたいだ。
夜遅くになって、できたぜ!と嬉しそうに披露しにきた。寝てるところを叩き起こされて、オレはホイミなんか見たくないんだけど。でもまぁせっかく部屋まで来てくれたんだし、良かったね、じゃあなんかお礼してよ、って手を出そうとしたらぶっとばされた。
そしてそのあと、この上もなく得意げにホイミしてくれた




おしまい