「さすらいの剣士」は「ミレーユの弟」だった。
 ヘルクラウドでさんざんすったもんだしたすえ、彼がオレたちに合流するとなったとき、本当はいろいろ心配したのだ。それまで世界のあちこちで行き違ったときの彼は、つんけんして、ひと嫌いらしくて、しかもそれをことさら強調したがっているようにさえ見えた。いかにも輪になじまなさそうじゃないか、と。…
 雲上のお城に居座っていた魔王をやっつけて地上に戻ると、ひとあし先に出ていったはずのミレーユとその弟は、ふたりきりでどこかへ行ってしまっていた。姉弟はだいぶ経ってから戻ってきた。ミレーユとよく似た瞳をした美貌の男は、その涼しい眼を真っ赤にして(ずいぶん泣いたんだろう)、きれいな顔だってだいなしだった。彼がひどく混乱してることは明らかだったし、だいたい初対面も同然のオレたちに泣き顔なんて見られたくないだろうし──どんなふうに切りだしたものかとみんながそわそわしだしたところで、ミレーユが言った。
「弟のテリーよ。……テリー、ほら」
「初めまして」と彼は言った。「──いや、べつに初めてじゃないか。おかげで助かったよ。ありがとう。それと……ケガさせて悪かった」
 彼のもの言いに、みんなの警戒がゆるんでいった。彼はみんなの自己紹介だけ聞くと、先に休ませてくれ、とさっさと引っこんでしまった。その日は結局、彼はだれともほとんどしゃべらなかった。
 明けて翌朝、少なからず気合を入れて弟君と対面して初めて知ることになった。彼は思ってたよりもずっと──ある面では普通だったし、べつの面ではまったくもって普通じゃなかった。

 そもそも彼──テリーは、ずいぶん淡白な奴だった。淡白を通り越して、むしろ無神経なんじゃないかとさえ思われた。なにしろ、すっかり明るくなったクラウド城を見て「『ヘル』が付くのと付かないのとじゃ大違いだな」なんて、のんきに感心しているのだ。こっちとしちゃ少しは恐縮しろよと憤慨しないでもないけれど、まぁともかく彼がそんなだから、オレたちは面倒な手順のひとつを省略することができた。馴れあいのためのそら笑い、けんか相手と仲直りしたあとの探りあいってやつを。
 仲間になってもテリーはあいかわらず愛想悪かった。でも、これはどうやら純粋なひと嫌いからきているわけではないようだった。他人にたいして、少なくとも知人にたいして、彼はおおむね好意的だった。単に、感情を表現する必要性を感じない性質なのだろう。大抵のひとは、言葉の重要たるところを経験から理解している。言葉は自分の中で過大評価されがちで、思っていることは結局のところ半分も相手には伝わっていないものだということを、あるいはおおげさな謝辞、礼節、抗議、哀切、その他もろもろによってようやく我々の間隙が満たされるのだということを、彼は学ぶ機会がなかったのかもしれない。だんまりでなにを考えているのかわからないから、きっと誤解されやすいんじゃないかと思う。そして彼は、誤解されても肩をすくめるだけで終わらせてしまうのだった。
 しかし彼の内面が冷ややかなのかといえば、そうでもなかった。とりわけある種の対象については、熱くなりやすいようですらあった。あらゆることについて、彼自身のうちでなにか明確な線引きがあることは明らかだったが、その線の引かれかたはまさに複雑怪奇で、推測すらできなかった。どうも気分屋然とした態度をとるのだが、その実、浮き沈みはほとんどなかった。しかもしばしば、ちょっとどうかと思うようなキザな振る舞いをしたりもした。
 ヘンな男だと思った。

***

 彼が合流して何日か経ったころだった。大きな城下に宿をとりみんなで夕食をともにしたあと、オレはテリーを街へ連れだした。ふたりきりで話をしてみたかったのだ。それは新入りと親交を深めるための、リーダーとしてのほとんど義務とも言うべき好奇心だった。
 通りがかりのバーに入ってカウンタに陣取ると、テリーは妙な注文をした。
「りんごジュース」
「シードルですか?」とバーテンダーが訊き返した。
「いや、アップルサイダー」とテリーは答えた。
 なんだ、酒は飲まないんだろうか。そのわりには、こんな酒飲みのためのうす暗い店にも、オレよりよほどなじんでいるふうに見える。カフェのほうが良かったかと訊ねてみたら、お前は飲むんだろ、とだけ返された。
 オレは、おそらくこういう状況ならきっと誰もが選ぶであろう切り口で会話を始めた。同い年(同い年だったのだ)のふたりはすぐに無難に打ち解けた。テリーが饒舌でないのは確かだが、それにしてもオレには相手に聞いてみたいことが山ほどあったし、一方でテリーがオレに聞きたいことなんてなかったんだから、結果としてその夜テリーはよくしゃべった。きっと、自発的に無駄話に興じることはないにせよ、訊ねられたら頓着せず応じるタイプなんだろう。
 しかしながら、テリーの気楽なようすの奥底には、得体のしれないなにかがひそんでいる気配がしてならなかった。魔王のもとにいた事実とあいまって、彼のきれいなうすむらさきの瞳がひどくこころもとなく見える瞬間がなんどもあったのだ。とはいえ、まだ核心に踏みこむべきではないこともわかっていた。オレは納得の範囲に良識的な折りあいをつけ、それで満足しておいた。
「テリーはどういう経緯であんなところにいたの? ──お空の上にさ」とオレはつついてみた。
「なんでだろうな。まともでなくなってたことは自分でもわかるんだが。過去に囚われ続けてたんだ。……ミレーユからなにか聞いたことあるか?」
「少しだけね。…」
 ほんの匂わすくらいに、でもさらに深掘る必要のない程度の話は聞いている。
「それでもアネキはちゃんとしてたのにな。オレのほうは道を間違えちまった。だいたい、今までロクなこともなかったし、いったいひとはなんのために生きてんだろうと最近じゃ思ってたが」……というかなるべく考えないようにしていたが、と彼は言った。「ま、生きてりゃなんとかなるもんだな。死なないで良かった」
「死にたいと思ってたわけ?」
「まさか。そんな、死にたくなるほど辛いことなんかなにもないぜ。単に、死線をかいくぐってちゃんと今まで生きてこられて、って意味さ」
 テリーは目を細めた。それがいかにも屈託ない微笑みだったので、オレは未だにわだかまっていた妙な気張りがかき消えていった気がした。なにか抱えているにしても、うん、いい奴じゃないか。
「デュランってどんな奴だったんだ?」と、オレはなんとなく話をむけた。
 テリーは一瞬眉をひそめたあと、すっとポーカーフェイスになってしまった。相手の傷に触れちゃったことにオレは気づいた。
「思い出したくないな。変わった奴だった。なんにしろ、人間じゃなかった」
「そう。……あいつ、あの服なんとかならなかったのかな」
 服? と首をかしげて、テリーはまた笑った。
「まあ人間じゃないんだから、ものさしが違うだろ。大目に見てやれよ。……おまえもたいがい変わった奴だな。──あー、マスター、はちみつレモンある?」
「リモンチーノですか?」とバーテンダー。
「いや、はちみつ入れたレモン水」
 よくまぁそんなに水ばっかり飲んでられるな、と言ったら、水じゃないだろ、と真顔で返されたので、それ以上はつっこまなかった。
「ねえテリー。ヘルクラウドで戦う前にも、オレたち何度かいろんなとこで会っただろ。なんで、いつもやたらと冷たかったのさ」
「なんでって……興味なかったし」
「興味の問題なの? よっぽどイヤな男なのかと思ったぜ。洞窟の奥とかで行きあってさ、いっときだけでも協力しあおうって思わないわけ?」
 どうかな、とテリーは肩をすくめた。
「ひとりで旅していたときは、誰のことも信じないと決めていたんだ。相手のことをどう思ったとか、相手にどう思われたとか、そういうのとは無関係に。…」
 それきり相手は口をつぐんでしまった。オレは、続きをうながすつもりで「だまされてうんざりしたとか?」と訊いてみた。少し間を空けてから、テリーは低い声で「何回もな」と答えた。
「放浪してるから知りあいができるわけでもなし、信じたってリスク負うだけだろ」とテリー。
「世の中、善人だって多いと思うけどな」
「そうかもしれない。でもどうせ誰ともその場かぎりさ──善人だろうが悪人だろうが。相手の本心なんて、オレにはわからない」
 テリーは手元に目を落として、ついで天井をあおぎ、最後にこちらの顔を見た。
「まあ、その場かぎりのつきあいしかしないから、よけいに他人の心がわからないのかもな」
 たぶんそうなんだろう、とオレは心のうちで考えた。他人に興味をもって、踏みこんで信じてたまには裏切られて、場数を踏まなきゃなにも始まらない。
「だけどテリー、オレたちとはその場かぎりじゃないだろ。これからはみんながいっしょにいるから。知らない悪者にテリーがだまされてたら、みんなでフォローしてあげるよ」
「なんだよそれ……だまされるかよ。だまされはしないが、……フォローねえ」と、テリーはグラスの氷を揺らした。「周りにひとがいるというのは、なんだか不思議な感じだ。いつもひとりだったからな」
 オレはちょっとだけ笑った。
 ふたりともグラスを空けてしまっていた。一瞬、沈黙が落ちたところへ、バーテンダーが控えめに飲みものの替えを訊ねた。テリーはザクロシロップを注文した。バーテンダーは、今度はなにも訊き返さずにザクロ水を出した。
 それから朝がた近くまでとりとめもないおしゃべりを続けて、時計が朝の四時を回ったころ、テリーはアーアとあくびをした。
「腹減ったな。おいレック、もう朝だ。帰ろうぜ」
「うん。でも、もう少し明るくなってからにしよう」
 テリーはカウンタに片手で頰づえをついて、まるで値踏みするかのようにオレの顔をじっと見つめた。いささか無遠慮な視線だが、オレの印象に残ったのは、ただ相手の容姿の鮮烈な美しさだった。
「……なあに?」
「なにも」と、テリーは目をそらさずに答えた。「まったく、今夜はずいぶんくだらないことをばかみたいにぺらぺら喋っちまった気がする。おまえ、本当に変な奴だな。……キスしていい?」
 はあ? と相手のほうを向いた瞬間、唇にキスされた。ほんの一瞬のことだった。──それきり相手は知らん顔をしている。
「なんでキスしたの」とオレは訊いた。
「さあ、なんとなく」とテリーは言った。
 明るくなるのを待ってから、まるでなに食わぬようすのバーテンダーにおやすみを告げて、オレたちは宿に戻った。

 それからほどなくして、オレたちはテリーについて、戦略上重要な能力から日常の取るに足らぬ癖まで、いろいろなことを知るようになった。
 身のこなしが俊敏でかけっこの速いこと(オレたちの誰も彼にかなわなかった)、魔法のセンスは皆無であること(彼はひとつも魔法を使えなかった)、意外と寝相が悪いこと(海底の宿屋に泊まったとき、彼はベッドから落ちてびしょぬれになっていた)、それに──尋常でなく魔物に懐かれること。こと最後の性質に関しては、ほとんど天賦の才能と言ってもよいほどだった。なにしろいろんな魔物が彼にすっかり懐いた挙句、パーティにくっついてきてしまうのだ。テリーは、人間には絶対にお節介なんて焼きやしなかったけれど、魔物らの世話をするのは苦にならないらしかった。スライムたちのどうにも的を射ない会話にさえ、彼は気長につきあってやっていた。
 あの子は昔からああなのよ、とミレーユは言った。
「飼ってもいいかって家に連れてくるの。メガザルロックを転がしてきたときは──びっくりしたわ、すごく」
「……飼ったの?」
「飼わないわよ」

 そうこうしながら、六人目の男は仲間のうちにおける立ち居地を定めていった。

***

 盛夏はとうに過ぎたというのに、いつまでも暑さの残る年だった。
 パーティは街道から外れて長いお昼休みをとっていた。なにしろ良いお天気で、しかも当日の行程はあとわずかだったのだ。みずから馬車番をかってでたテリーを残し、みんなは近くの小川へ下りてにぎやかに過ごした。残暑の陽気にあてられてハッサンと水合戦をしたら、いささか悪ふざけが過ぎて、オレは全身ずぶ濡れになってしまった。うっかり背負ったままだったラミアスの剣まで水びたしだ。
「ハハ! ざま見ろ」とハッサン。「つんつん頭が泣いてるぜ」
「つぎはそっちのモヒカンの番だからな!」とオレ。
「それくらいにしておいたら? もうひとラウンド始めたら、おやつの時間までに街へ着かないわ」とミレーユが笑った。「お茶を飲んで焚火の始末をしたら、発ちましょうよ」
 のんびりお茶をいれているみんなを置いて、着替えを取りに馬車に戻ると、留守番のテリーは御者席で仲間のスライムたちにまとわりつかれていた。名前を呼ぶと、テリーはぱっと顔をあげた。ひざの上に、見慣れない赤色のくらげみたいなスライムが乗っている。
「おはよう」と彼はとっさに口走った。
「おはよ。──寝てたね、テリー?」
「『おかえり』と言い間違えたんだ」と、テリーは余計な言い訳をした。「それよりどうしたレック? 川に落ちたのか」
「まあ……そんな感じ。ラミアスまで濡らしちゃった。すぐ乾くだろ、いい天気だし」
 オレは、御者台にへばりついたスライムたちを退かせてから、抜身の剣を馬車の車輪に立てかけた。テリーは眉をひそめた。
「なにしてるんだ。また錆びちまうぜ。伝説の剣も形なしだな」
 返す言葉もない。今後は気をつけます、とオレは脱いだ上衣をぎゅうぎゅう絞りながら神妙に答えた。
「ラミアスに選ばれた勇者だなんて」と、テリーは冷ややかにつぶやいた。「べつに、伝説の勇者が完全無欠の超人みたいな奴ってわけでもないんだな」
「そうだよ。勇者だって王子だって、中身は純朴で健全なひとりの青年さ」
 オレは肌をさらしたまま、テリーの座った御者台の奥、幌の中の荷物を探って着替えを取りだした。
「ふん。たしかにどう見ても年相応のばかものだ」
「なんて?」
「年相応の、わかものだ」
「ハハ。そうそう、旅の剣士さんとおんなじだよ。オレはラミアスを使えるけど、生まれてこのかた魔物に懐かれたことはないし、地獄の雷も呼びだせない」
 テリーは皮肉っぽい眼差しで、じっとこちらを見た。
「魔物と親しくて地獄から雷を呼びだすような人間が、はたして勇者の味方なのか疑わしいところだが」
「味方さ。そんなにきれいな瞳をしてるんだもの」
 テリーはちょっぴり目を見開いたあと、なに言ってやがる、とあからさまに鼻白んだような表情をした。
「まったく──変な奴だな、おまえ」
 ため息をつくなり、彼は都合よく間近にあったオレの唇に自分の唇をほんのちょっぴり押しあてた。いつかの夜を思いだし、オレは慌てて身体を引いた。
「こら! なにするんだよ」
「いや。なんとなく。…」
「もう……おまえのほうがどうかは知らないけど、こっちは純朴で健全なんだ」とオレは文句をつけた。「ひざの上のそいつの教育にも良くないだろ。──ところでテリー、その赤いくらげみたいな──その、そいつはなに? 仲間じゃなかったよね?」
「……ああ。ベホマスライムだ。ついさっき、キングスとけんか始めたのを仲裁してやったら、勝手に懐かれて……。なあレック、こいつも連れて行っていいか?」
「ええ? また?」
 赤いスライムはもの言いたげにこちらを見ている。手を伸ばして赤い半透明の頭(らしき部分)に触ると、想像どおり、スライムのたぐいに特有の張りつくような質感をしていた。少しくらいなら良いが、あんまり長いこと触れていたいものでもない。テリーはしょっちゅうこいつらにくっつかれているが、迷惑に思わないのだろうか。…
 ベホマスライムは、緑の触手をオレの指にからめて上下させた。握手のつもりだろう。
「いいよ。いっしょにおいで。困ったことがあったら遠慮なく言ってね、テリーに」
「良かったな、ベホマン」
 テリーは嬉しそうに魔物に微笑みかけた。

***

 いかついけれど中身は愛嬌のあるバトルレックスが、テリーを慕ってパーティに加わった日のことだった。
 宿の食堂で夕食を済ませたあと、オレはひとりで部屋に引きこもり机にむかっていた。レイドックのお城から持ってきた、地味で面倒で少なからぬ量の事務仕事をやっつけてしまいたかったのだ。開いた窓の外からは、仲間たちの楽しそうな声が響いてくる。きっとみんなの居座っている食堂の窓も開け放してあるんだろう。耳をすましてみると、バーバラの高い声ははっきり聞きとれた。ハッサンの言葉もまあわかった。チャモロは、声の響きは聞きわけられるけれど、内容まではわからない。ときおり静かになるのは、きっとミレーユか、あるいは──。
 部屋の鍵がかちゃりと音をたてた。ドアノブががちゃがちゃ鳴って、それからもういちど鍵の音。開いてたのかよ、と部屋に入ってきたのは相部屋のテリーだった。彼はオレのとなりに来て、机に散らかった書類を覗きこんだ。それから、ごくろうなこった、と舌を出したうえ、オレは手伝わないぜ、と(頼みもしないのに)勝手に宣言した。
「みんな、まだ騒いでるんじゃないの?」と、手元に意識を戻してペンを走らせながらオレは訊いた。
「そうかもな。……少し疲れた」
 オレの背後で、テリーが靴も脱がないままベッドに寝転がる気配がした。それきりなんの物音もしなかった。
 小半時ほど経って、伸びをしたついでに振り返ってみたら、テリーは目を開けて暗い天井をじっと見つめていた。起きてたんだ、と声をかけると、彼は目線だけをこちらへよこした。オレは仕事を中断しておしゃべりする気になり、テリーが寝転がっている寝台のはしっこに腰をかけた。
 仲間になったばかりのバトルレックスの話題を投げてみたら、テリーはちょっと機嫌を良くした。なにしろ根っからの魔物好きなのだ。おかげでオレは、バトルレックスが単為生殖する条件と確率について、やけにこと細かな知見を得てしまった。
「そもそもオレにはドランゴとほかのバトルレックスを見分けられる気さえしないけどな。テリーにはわかるの?」
 オレがなんとなしに疑問を口にすると、テリーはあきれたような顔をした。
「わかるもなにも、まず容姿がぜんぜん違うじゃないか。ハッサンとチャモロを見分けられないようなものだぜ」
 そんなわけあるかと内心いきどおりはしたが、しかしまあ、テリーにとってはそうなのかもしれない。…
「……ミレーユが言ってたよ。テリーには子どものころから魔物使いの才能があった、って。ほとんど言葉の通じない相手と仲良くなるコツとかあるわけ?」
「いや。むかしから、なぜか魔物に懐かれることが多かっただけさ。勝手についてくるんだから、理由なんてわからないな」
「テリーが人間っぽくないんじゃない?」
 適当に茶化しただけのつもりが、テリーは存外まじめに受けとったようだった。
「人間と魔物の違い、ね。……ひととバトルレックスと馬とペガサスと、いったいなにが違うんだろうな。オレとお前、男と女、生者と死者、──はみ出しもの」
 意味のない言葉遊びのような台詞だったが、オレには曖昧なりに理解できないでもない気がした。
「たとえば──そうだな。世の中には二種類の人間がいる」とオレは言った。「鼻をかむとき、右からかむ奴と左からかむ奴だ」
「…………ふーん」
「なんだよその顔……いや、もののたとえだよ。カテゴライズなんてしょせんそんなもんだってことさ」
 なるほど、とテリーはほおを緩めた。
「じゃあ言っておくが、オレは両方いっぺんにかむぜ」
「ええ、そうなの? テリー、そりゃやめたほうがいいと思うぜ」
「かむかよ! ばか、もののたとえだろ。わけのわからん奴だな」
 横目でにやっと笑ってみせると、ずっと寝転がったままだったテリーは上体を起こした。その瞬間、オレは既視感に襲われ、しかも即座に理由に思いあたった。
「キスしたらだめだからな」と、相手に先んじてオレは言った。「もう、なんで平気でそんなことするんだ」
 テリーは目をぱちぱちさせて、それからわずかに相好をくずした。彼の答えは今までと同じだった。
「いや、べつに、なんとなく」
「そっちはいいかもしんないけど。オレのほうは『なんとなく』程度でキスしてみるタイプじゃないんだよ」
「オレはそもそも他人と接触するのも嫌だけどな。男はとくに」
 いや、しただろ。しかも唇で。わけがわからないのはそっちだよ。…
「だいたい、よりによってベッドでさ」とオレは説教するみたいにぶつくさ言った。「こんなこと言いたかないけど……さすがに襲われるか、少なくとも血を見るところだぜ」
「犯すか殴るか、レックはどっちなんだ」
 趣味の悪い冗談にしては、テリーは真顔だった。オレはおおげさにため息をついた。……いったいなんだってんだ。なにか言いたいことがあるんだろうか?
「まあ見逃してやるよ。オレは博愛主義なの」
「そりゃ良かった」とテリーは低い声で言った。
 それで油断したとたん、またもやキスされてしまった。さすがに腹が立ち、オレは相手の肩を小突いて、おどすみたいに力づくでシーツに押しつけた。
「おい、やめろってば! 言いたいことがあるならはっきり言えよ。言いたくないんだったら、小出しにするな」
「言うまでもないと思うが、殴られたいわけじゃない」
 テリーの暗い瞳がまっすぐこちらに向けられている。オレは言葉に詰まった。どういうことだよ。──犯すか殴るか、だって?
「……なに? つまり、犯せってこと?」
 テリーは肩をすくめた。
 ふとオレは、自分がなにか勘違いをしているのかもしれないと思った。気まぐれのような振る舞いの奥に、相手のほの暗い本音が隠れちゃいないだろうか。言葉の選びかただけ、間違わないように気をつけなけりゃ。彼を傷つけないように。──そう思ったはずだったのが、実際に出てきた台詞は最悪に無粋なものだった。
「ずいぶん手慣れてるんだね、テリー」
 相手のうすむらさきの瞳にさっと影が差した。まるで記憶の底にくすぶっていた暗闇が、思いだしたようにむくむく湧きあがって彼のうちに広がったのを、外部にさらされた瞳からじかに覗きこんだようだった。いったい彼は、うちに抱えたなにかを共有したいんだろうか? あるいは、入ってくるなというメッセージを見逃していやしないだろうか?
 でも少なくとも、とオレは考えた。オレ自身はテリーのことを知りたいと思っている。うっかり相手の不可侵の領域に踏みこみかけたとして、もしテリーが拒みたいなら、彼はきっと端的にそう伝えてくるだろう。……そういう男だということを、すでにオレは知っていた。
 意を決して言葉を接ごうとしたとき、不意にテリーの口が開いた。薄い唇が紡いだ言葉は、たしかに端的だった。
「試してみるか?」と彼はささやいた。

 本当に、ちょっと試してみただけ。抱きしめて、キスしただけだった。それにしたって。…
「あーあ、なんで試してみちゃったんだろ」
 三角座りで頭を抱えてうめいたら、テリーは乱れかけた着衣を整えながら、鼻で笑った。
「後悔してるのか」
 後悔、……オレは後悔しているんだろうか? そもそもテリーのほうはどうなんだ? 相手がいったいどういうつもりなんだか──とどのつまり、試してみたところでなんにもわかりゃしなかった。
「さあ、もうなにがなんだか。テリーこそ、どうしてそんな……ちぇ、涼しい顔しやがって。なんで平気でいられるんだよ」
 多少の憤りをこめて訊いたら、相手は首をかしげて「さあ、なんでだろうな」と言った。
 もう嘆息するしかなかった。本心を隠しているわけではなく、ただ『なんとなく』ってことらしい。それならそれでいいやと、オレはいくらか投げやりな気になった。
「じゃあ、もうひとつ訊いていい? なんでそんなに手慣れてるわけ?」
 テリーが視線をそらしてしまったので、オレは「言いたくないなら言わないでもいいよ」とつけ足した。それから手を伸ばして、さらさらした銀の髪になんとなく触れてみた。──そう、たしかに『なんとなく』だ。見た目どおりさらさらして、いつまでもなでていたくなるような触り心地だった。でもテリーは迷惑そうに、やめろよ、と言った。キスはさせたくせに。…
「聞きたきゃ言うが。しかしレック、おそろしく野暮な質問だな。聞いてどうするつもりだ」
「そりゃ、相手のことはなんでも知っておきたいもの。……でもごめん。やっぱりあんまり聞きたくないかも」
 テリーはフフンと表情をゆるめた。
「なら言わないでおこう。変な奴だな、おまえ」
 そのあと彼がなにをするかはわかっていた。だから、こっちから先に口づけてやった。触れるだけにしておけば良かったものを、つい止めどきを失い、思いがけずまともなキスになってしまった。長々と重ねた唇を離して顔を見あわせ──あー、どうしよう? 相手の顔色をうかがうと、相手もこっちの出かたをはかりかねている。どうせおたがいさまだと思うと、なんだか気が大きくなった。たぶんテリーも似たような心境だったんだろう。オレが相手を押し倒したのと同時に、相手もオレを引き倒した。引き倒しておいて(まあ半分はオレが押したんだけど)、そのくせテリーは目を見開いて「本気?」とのたまった。本気じゃないって言ったらどうするつもりだよ、となじってやりたくもなったが、そうしたらきっと、どうということもなく止めにされるだけだろうから黙っておいた。……つまり、止めにされたくないってことだ。自分はまたぞろ、しないほうがいいことをしようとしてるんじゃないかと思いはしたけれど。
 オレが返事をしなかったものだから、テリーは訝しげに「また試すつもりか?」と訊ねた。なんでそうなるんだよ。
「違うよ。もう試さない。ちゃんとするの」
 そして、まだ濡れている相手の唇に口づけようとしたが──テリーの白い指先が、直前でキスをはばんだ。
「さっき訊いただろう。なんで初めてじゃないのかって」と彼は言った。うすむらさきの瞳が、こちらの心の中を探るようにオレの目を覗いている。
「ああ。でも──」
 ──でも、掘りかえしてテリーが憂鬱になるだけの過去なら、明かさなくてもいいから。そう言おうとした。まあ彼にもいろいろあったということだろう、と。
 しかしテリーはオレの言葉を遮って言った。
「全部知りたいんだろ」
 つまり彼のほうで共有したいということだろうか。オレは、肯定の意思と、話をうながす意図をこめて、唇の端だけで微笑んでみせた。テリーは口を開いた。しかし、言葉は絞りだすようにのろのろとしか出てこなかった。
「おまえたちに会う前。ヘルクラウドで。…」
「ヘルクラウド? テリーのほかにも人間がいたのか」
「……いや」
 それきりテリーは黙ってしまった。オレは、彼が続きを口にするのを黙って待った。しかし、落とした沈黙はみるまに重苦しくなり──そして今や、彼がつむげないでいる名前がまったく明快であることにオレは気づいていた。
「相手はデュラン?」とオレは訊いた。
 一瞬、テリーはほとんど盗み見るような視線をよこした。まるで咎人みたいに。それからようやく、詰めていた息を小さく吐き出した。
「ああ。あまり思いだしたくもないが。よくわかったな」
「あてずっぽうさ。……恋人だったの?」
 なんとなく投げた問いだったが、しかしこれはまったく不用意で不適切で、不必要に相手の傷をえぐる言葉だった。テリーはさっと顔色を変えて、まさか、とうめいた。
「恋人だと? いや……まさか。ひかえめに言っても、記憶にさえ嫌悪する」
「ごめん。ばかなこと言っちゃった」
 少し黙りこんだあと、テリーはいくらか自嘲的に唇をゆがめた。
「いいや、おまえが謝る道理はないさ。オレはオレ自身の判断と責任であいつのそばにいたんだから。だが、恋人って表現から連想されるような関係でなかったのはたしかだ」
「でも、なにもない関係でもなかった」
「……ああ。しかし一方的に慰みものにされていたわけでも、ことさら寵愛されていたわけでもなかった。むこうがどんなつもりでいたのか、今でもオレには想像もつかない」
「たしかなのは、人間じゃなかったってことだな」
「そう、人間じゃなかった。……みんなが助けてくれて、本当に良かったよ」
 まあ四対一はズルかったがな、と言い足して、テリーは笑った。……この笑顔には参った気がした。考えなしの振る舞いだろうに、彼ときたらなぜかこっちの押さえどころを外さないらしい。
「世界の平和のためさ。でもまあ、たとえ一対一でもオレが勝ってたんじゃないかな」とだけオレは言った。
 眉をよせたテリーがなにか言い返してくる前に、オレはその唇に指先をあてた。
「さてと。これで、重要事項の共有は済んだわけ?」
 なんなんだよ、とテリーは苦い顔でつぶやいた。
「レックがなに考えてんだか、ときどきわからなくなるぜ」
「そう? だったら教えてやるけど、この流れだとちょっと手を出せないなぁって考えてるんだ」
「……ばか」
 言うなり、彼はオレの両耳を手のひらで挟んで顔を引きよせ、噛みつくように唇を重ねてきた。いいからさっさと続けろってことらしい。正直なところ、どうやるのかもよくわからなかったが、まあ間違えたらテリーが適当に手引きしてくれるだろう。
 なんだか、彼のことを好きになりそうだと思った。

 服を脱いだり脱がせたり脱がされたりしてみると、いよいよ本式にそれっぽくなってしまった。恥じらいもなくさらされたテリーの身体は、剣士として当然よく鍛錬されている。しかし、改めて自分の腕の中に収めてみれば、生まれ持ったであろう骨の細さを感じずにいられなかった。剣士じゃなくて魔物使いとして道をきわめる選択もあったろうに、とつい考える。
「ねえテリー、悪いけど初めてなんだよね、同性とは」と、オレは白状した。
「あー、うん、そもそもレックの手練手管に期待はしてないさ。ひどかったら止めてやるから、好きにしてみろよ」
 なかなか無情な言い草だが、テリーが機嫌良くしているのはたしかである。せっかくなので、申し出に甘えて好きにさせてもらおう。
 好奇心のままに、オレは手やら唇やらで相手の全身のあちこちに触れてみた。テリーはくすぐったがったり、たまに息をつめて感じ入った声を押し殺したりした。テリーのディテールはすごく繊細に形成されていた。爪やらへそやら鎖骨やら、どこもかしこも(ベッドの中だからというわけではなく)素直にきれいだなぁと見惚れさせられるほどだ。そもそも、容貌のすこぶる美しい男である。いい機会だからと整った目鼻だちを間近でしげしげ眺めていたら、「なにをじろじろ見てるんだ」とにらまれてしまった。
「神は細部に宿る、とはよく言ったものだなと思って」
 指先で相手の眉をなぞりながら答えたので、テリーは意味を取り違えたようだった。
「そう? 眉毛は整えてるが」
「べつに眉だけの話じゃなくてさ」
「ふうん。まあどうでもいいけどな。だいたい、形態は機能に従うんだぜ」
 オレはいい加減に返事しておいた。彼の中身のほうは、ちっとも繊細にできていないらしい。造形の話はそこで打ち切ることにして、もう少しなにか──次はどうしたらいいだろう。キスしながらちょっと迷ったすえ、指を相手の下半身に伝わせて、舐めてやろうかと訊いてみた。テリーは目を細めて、いかにも小憎らしげな表情を浮かべた。
「いいけどおまえ、ちゃんとできるのか?」
「さあ……したことないから、なんとも」
 ほかに飛びだしかけたいろんな言葉をおさえこんで、オレはひかえめに答えた。通念的な配慮に欠けるだけのことで、きっと悪気はないのだ。
「ひどかったら止めてくれたらいいよ」
「よほどじゃなけりゃ大目に見てやるよ」とテリーは偉そうに言った。
 とはいえ、実際のところテリーはずいぶん良さげにしていた。そう指摘してみたら、彼は「レックががんばってると思うと」とかなんとか、あんまり感心しないようなことを言った。そのあと彼がしてくれたときには、さっき触れさせなかった銀の髪を、ここぞとばかりに遠慮なしでなでてやった。
 そこから先は、ほとんどお手上げだった。なにしろわからないものはしかたがない。あんまりみっともいいものでないことは重々承知のうえで、オレはテリーに逐一彼のして欲しいことを教授いただいて、ああでもないこうでもないと試してみた。テリーはものの言いかたも反応も率直だったから、試行錯誤するのはおもしろかった。気持ちの良いときは楽しそうだし、良くないときはつまらなさそうにされた。ついでにいえば、普段の飄々とした振る舞いからは想像もつかないような姿態も、追いこまれて眉根を寄せた表情も、手の甲で抑えきれず唇からわずかに漏れる喘ぎ声も、ちょっとどうかと思うほど刺激的だった。口にしたら怒られるような気がしながら、つい「やらしいなぁ」と言ったら、「おたがいさまだろ」と返された。もっともなことだ。
 ただ彼は、痛みだけはかたくなに押し隠してしまうらしかった。たしかに、平生からよほどのダメージを負っても意に介さないようなところのある男だ。ずっとひとりで戦ってきたからかもしれない。安寧とは対局の日々にあって、ありがたいことに仲間の誰も軽薄な泣きごとなんか言わないけれど、テリーの場合はよく鍛錬されているという度合を過ごして、ほとんど機械的でさえあった。──ともかく、少なくとも今、彼に痛い思いをさせるのはばかげてるじゃないか。…
「ねえテリー、痛かったら隠さずに教えてよ」
 相手は大儀そうに目線をこちらへ向けた。すでにだいぶ力が抜けてしまっている。
「……たいしたことじゃない」
「程度の問題じゃなくてさ。おまえが我慢する意味ないだろ」
 うん、とテリーはなにげなくうなずき、直後に目元を微かに染めた。「次からは気をつける」と彼は言い足した。なにか彼の琴線に触れたらしかった。うすむらさきの瞳が心もとなく潤んでいたから。…
 レックのくせに、とつぶやいて、彼はオレの背に両腕を回した。抱きよせられるまま、すっかり汗ばんだ素肌の胸と胸がくっつくと、お互いの鼓動まで分かちあっているような気分になる。
「オレのくせに、なに?」
「……まあまあ悪くない」
 最大限の賛辞だ、とオレは笑った。つられたように笑みを浮かべたテリーに続きをうながされると、それきりオレはためらわなかった。
 あまねく全てがひどく即物的で、思考はおろか感情すら遥かな幻に過ぎなかった。のけぞってあらわになった相手の柔らかいのどに口づけたら、激しい息遣いと脈動が唇に伝わってきた。
 今、ここを噛み破ったら、彼は死ぬんだろうか。──ついそんなことを想像した瞬間、たまらなく相手を支配している感覚に襲われた。

 窓が開け放しだったことに気づいたのは、なにもかもが終わってしまったあとだった。
 正直なところ、テリーがほとんど声を出さなくて助かったとつくづく思ったりした。窓に寄ってもみんなの話し声は聞こえない。食堂の窓を閉めたか、あるいはもう切りあげて部屋に収まるかしてしまったのだろう。
 振りかえると、テリーはシーツにくるまったままこちらに背をむけている。ははん、さすがに照れくさいらしい。……かわいげなくもないじゃないか、と考えかけたとき、彼はくるりと寝返りを打ってこちらを見た。さっきまでぐったりしていたのが、すでに普段どおりのとり澄ました表情だ。オレは窓を閉めて、また彼の隣に座った。
「後悔してるんじゃないのか、レック? しないほうがいいことしちまったって」
 からかうように、これっぽっちもしっとりしないことをテリーは言った。
「なんでひとごとみたいな言いかたなのさ……だいたい、そんなこと思いやしないよ」
 ふうん、とだけ答えて、テリーは目を閉じてしまった。うすむらさきの瞳が見えなくなると、テリーの美貌はなにか生きているようすのしないような清冽ささえ感じさせた。彼の顔を眺めがら、いったい今晩オレはどちらのベッドで寝るべきだろうか、なんてくだらないことを考えていると、不意にテリーがぱちりと目を開けた。
「今さらだが」と彼は低い声で言った。「おまえ、どうしてオレを抱いたんだ」
「ええ? どうして、って。…」
 眠っているものと思いこんでいた相手からいきなり声をかけられて驚いたのもあるけれど──うっかり「なんとなく」と答えそうになってしまった。どうしてって、……どうしてだろう? たしかになんとなくやってしまった。理由もなく無遠慮にキスしてきたテリーに、文句なんて言えやしない。
「好奇心かなぁ」と、オレはまじめに考えたすえ、極端に雑な結論にたどりついた。「なんでと言われると難しいが。自分のことは身持ちの堅い人間だと信じてたんだけどな」
「好奇心、ね」とテリーは鼻で笑った。「同性とは初めてだったから?」
「……違うよ。おい、意味不明の発言すんのやめろ。おまえ個人にたいする好奇心に決まってるだろ」と、オレは相手の額をつついて言った。「好奇心が満たされた替わりに、今度は独占欲かなにかが湧いてきちゃったけどね。──じゃあこっちも訊くけど、テリーはどうなんだ。なんのつもりでちょっかいかけてきたのさ」
 さあ、とテリーはわずらわしそうに顔をしかめた。
「身持ちの堅い勇者にたいする好奇心かな。言っておくが、オレのほうじゃ独占欲は湧いてないぜ」
「……それで? おまえの好奇心は満たされたの?」
 逡巡したのち、いいや全然、とテリーは小さな声で答えた。オレが笑うと、彼も曖昧に笑った。
 彼の心のある種の一角を、オレが占めていられたら。──駆られるように自分のそう望んでいることを、そして同時に、自分の心のとある一面をすでに彼が占めていることを、その瞬間にオレは自覚した。
「好きになりそう」とオレは言った。
 テリーは目をしばたかせ、困ったように視線をそらしてしまった。しかしそれが拒絶でないことを、オレはもう知っていたのだった。身をかがめて唇に口づけたら、やがて相手の腕がこちらの首にからまった。テリーのキスは、オレの心をかきたてるように、ひどく感情的だった。あまりにも明瞭な、それが彼の答えだった。

 結局その夜は隣に並んでいっしょに寝てしまった。そして朝がた、寝ぼけたテリーにベッドから突き落とされて目が覚めたのだった。なんなんだよ、と見おろした寝顔が思いのほか無防備で、ああきれいだなぁと、朝まだきの薄明りのもとぼんやり眺めていた。
 ふたりの間にたゆたう、それはきわめて不確かで寛大で、容易ならざる関係性。きっとどうにか、やっていけるだろう。





おしまい